Sweet & Bitter

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 恋は、甘くて、苦くて……甘いもの。
 お菓子を作るのは、特別なあなたのためにだけ。



「よしっ、完成!」
 焼き上がりのチン、という音に、果歩かほは満面の笑みでオーブンに駆け寄った。レシピによれば、バニラ生地とココア生地がモザイク模様になった、可愛いクッキーが出来上がっているはずだ。
 いや、出来上がっているはず、だったのだが。
「果歩ちゃん。オーブンの温度設定、間違えたんじゃない?」
 隣りの来実くるみから、おそるおそる言葉が投げかけられた。
「…………ちょっと失敗した」
 苦笑いをするしかない。果歩は、クッキーの形を辛うじて留めている憐れな黒こげの物体を皿に移し、脱力して椅子に座り込んだ。今度こそは、と意気込んでいただけに、失敗したと分かった時の落胆もまた大きい。クッキー作りに要した放課後の数時間と手間とを考えると、泣くに泣けない。まして今回はオーブンに入れるまでは上手くいっていたのだからなおさらだ。
 やっぱり自分には、お菓子作りの才能がないのかもしれない。
 黒こげのクッキーは、一応食べられないことはない。カリッという美味しそうな音の代わりに、ゴリッという焼けすぎた固い音。バニラとココアの甘い味の代わりに、ほろ苦い味。口の中に広がるそれらの絶妙なハーモニーに果歩は、う、と低くうめいた。
 そんな時だった。少しほこりっぽいところのある、ひなたの匂いがかすかにした。と、同時に果歩の後ろからついと手が伸びてきて、クッキーをつまんだ。クッキーをかじる音と一緒に、耳元をからかいを含んだ笑い声が滑る。
「まだまだじゃん、佐藤」
「……」
 果歩は心の中で激しく地団駄を踏み、それでも意地で無理矢理笑顔を作った。
「今日は、オーブンに入れるまでは上手くいってたんだよっ」
 強がる果歩の答えに、声がへーえ、ホントに?と返してくる。
「前回は、砂糖と塩を入れ間違えて失敗したんだっけ?」
「……それは前々回。それに間違えたのは砂糖と小麦粉だもんっ」
「あ、ベーキングパウダー入れ忘れて全然ふくらまなかったのが前回か」
「……それはさらにその前だってば!」
 果歩は最大限にむくれ、楽しそうに笑っているクラスメイトをじとっと睨んだ。
「なんでそんなくだらないこと覚えてるの、大翔ひろとくん」
「いやー。だって、まるでマンガみたいな間違いする佐藤が面白いからさ」
 笑いながら、大翔は果歩作の“黒こげクッキー”を口に運んだ。
「大きなお世話だってば!!」
 果歩はぷんぷんといきりたちながら洗い物に取りかかった。
 大翔はバスケ部で、果歩や来実と同じクッキングクラブのメンバーではない。だが、甘いものが好きなのか、部活の練習の前後は、体育館近くにあるこの調理室によく顔を出す。果歩としては、失敗作を食べてくれる存在だからありがたくはある。
 ……その際、一言どころか二言多いのが、非常によろしくないけれど。
「大翔くんって、ほんとに甘いものが好きなんだね」
 そんな黒こげのやつでも美味しそうに食べるなんて、という自虐的な台詞は辛うじて飲み込み、果歩は洗剤をめいっぱい泡立てた。お菓子作りが失敗してご機嫌斜めな果歩に、大翔はさらっと言った。
「ホントは俺、そんなに甘いもの好きじゃないんだ」
 大翔の言葉に、洗い物の手を休めずに果歩は応答した。
「そうなのー? じゃあどうしてここに来るの?」
「好きだから」
 告げられた台詞に、果歩は振り返り、はい?と言ってぱちぱちと瞬きをした。そんな果歩に、大翔はにっこりと爽やかな笑みを少しも崩すことなく、果歩に顔を近づけると、さらにもう一度言った。
「好きだから」
 大翔の言葉の意味がわからず、果歩は首を傾げた。
「だって、嫌いなんでしょ?」
「……あのね。だから、俺の好きなのは」
 大翔がじれったそうに口を開きかけた時、素晴らしいタイミングでチャイムが鳴った。果歩は時計にちらりと目をやり、ハンカチで濡れた手を拭きつつ、あっさり言った。
「あ、バスの時間だ。もう行かなきゃ。また明日ね」
「……そう」
 後にとり残された大翔は、大きく肩を落としため息をついた。
「くそ……また失敗か」
 二人のやり取りを一部始終見ていた友人の来実は、気の毒そうな視線を大翔に向けた。
「大翔くん。果歩ちゃんは鈍いから、そんな遠回しな告白じゃ、絶対に伝わらないと思う」
「やっぱり?」
「……くじけずがんばってね」



 そんなふうに調理室でひそかなやりとりが交わされていたことなどつゆ知らず、果歩は廊下を下駄箱に向かって歩いていた。
 失敗した今日のクッキーのことは、都合よく忘れることにした。明日また新しいお菓子に挑戦すればいい。
(そうだよ、まだ日はあるもん)
 お菓子作りのレシピを、果歩は大事な宝物のように抱きしめた。
 女の子の聖戦、“バレンタイン”。その日まで、もうすぐ。
 女の子らしい、小さな夢。それは、バレンタインに、好きな人に自分の作ったお菓子と一緒に告白すること。我ながら乙女チックだとは思うけれど、それほど器用ではない果歩が、熱心にお菓子作りに励むのは、ひとえにその日のためだった。
 しかし、スタンダードなチョコレートはもちろんのこと、クッキー、シュークリーム、プリン、エクレア、パウンドケーキ……と、お菓子と名がつくものにはほとんど挑戦しているのだが、なかなか成功しない。入れるべき材料を入れ忘れたりまたは入れすぎたり、今日のようにオーブンの温度設定を間違えたり、と毎回のように何かしら小さな失敗をしてしまう。
 真剣にやっているのに、何故失敗してしまうのかがわからない。
 お菓子作りの神様に嫌われてるんだ、と度重なる失敗に、そう思うようにもなってしまったが、決して諦めた訳ではない。
 頑張ろう。そうだ、成功したら……いつも失敗作を食べさせてばかりいる大翔にも何かあげよう。
 そんなふうにレシピを眺めつつ、曲がり角にさしかかった時だった。
「……あ!」
 レシピに目を落としていて前方不注意だったせいか、出会い頭に人にぶつかってしまった。持っていたお菓子作りの色とりどりのレシピも風に舞う。すみません、と果歩は謝り、慌ててそれらを拾い集める作業にかかった。
「ごめん。オレも急いでたから……」
 上から降ってくるその声を知っている気がして、果歩は顔を上げ、そして嬉しい偶然に胸を躍らせた。
「先輩っ!」
「ああ、果歩ちゃん。久しぶり、元気にしてた?」
 はにかんだような笑みを顔に浮かべるその先輩に、果歩はひそかに片想いをしていた。そう、何を隠そう、失敗してもめげずにお菓子を作り続けるのは、この先輩のためである。お菓子作りが成功したら、それと一緒に告白しよう。いつの頃からかそう心に決めていた。
「どうりでいい匂いがすると思った。そっか、果歩ちゃん、調理部だっけ?」
「はいっ!」
「そっか。今度俺にも何か作ってよ。いいよね、お菓子作りの得意な女の子って」
「はいっ!」
 先輩の言葉に、果歩は満面の笑みで応答した。 自分のことを覚えていてくれた……それにだけで嬉しくなった果歩だったが、それも先輩の次の台詞を聞くまでだった。
「あいつも果歩ちゃんみたく、お菓子のひとつぐらい作れればいいんだけどね」
 レシピを拾い集める果歩の手が止まった。
 “あいつ”。先輩の短い言葉には、隠しようもない愛しさと親しさが込められていた。苦い予感が、心を、端からじわじわと溶かしていく。
「……あいつって、もしかして彼女ですか?」
 顔に貼りついた微笑を崩さなかったのは、立派だと自分でも思う。果歩の問いに、先輩は照れくさそうに頭を掻きながら、あっさりと答えた。
「ま、そんなようなもんかな」
 先輩の言葉は、少し遅れて果歩の胸に苦い弾丸となって降ってきた。
 やっぱり。そう思った。あまりにもあまりにもあっさりし過ぎた失恋すぎで、悲しみさえ沸いてこない。
「果歩ちゃん、どうかした? 顔色よくないよ?」
「あ……え、と」
 果歩は言葉につまってうつむいた。好きですとは、口が裂けても言えなかった。胸の中に数か月間抱いていた淡い想いが、恋愛感情であるかも、今はよく分からない。
「な、何でもないです。そ、それじゃ……」
 少々不自然かもしれなかったが、果歩は会話を中途で切り上げて先輩に背を向けた。ゆっくりとした歩みは、いつしか早足になり、そして駆け足になっていた。
 苦い涙が一筋だけ頬を伝い、抱きしめたレシピにはじけて消えた。



 痛い。痛い。心も痛いけれど、手も痛い。
 果歩は、まだじくじくと痛む右手を見つめた。大翔の叱責が降ってくる。
「だーかーらっ。鉄板を素手で掴めば火傷するって、よく考えなくても分かるだろ?」
「すみません……」
「今回は軽い怪我で済んだからよかったようなものの、顔に怪我したらどうするんだよ」
「はい……」
 色々な薬の臭いが混じり合う保健室の空気の中。
 果歩はすることもないので大翔が器用に自分の手に包帯を巻くのを見ていた。真剣な目と、躊躇なく包帯を操る指。大翔がもしお菓子を作ったら、失敗ばかりの自分よりよほど上手かもしれないとぼんやり考えた。
 こんなふうに保健室に来ることになったのは、果歩の持ち前の不器用さから起こったアクシデントのせいだった。昨日の消極的な失恋で睡眠不足だったこともあり、うっかりオーブンの鉄板をミトンなしに素手で掴んでしまったのだ。幸い、すぐに水で冷やしたので軽い火傷で済み、大事には至らなかったが。
 それにしても、と果歩は思った。いつもは果歩にあたりの優しい大翔が、今日はやけに冷たい。自分は、何か怒らせるようなことをしただろうか。確かに失敗作のお菓子を毎日のように食べさせてはいるが……どうもそのせいだけではない気がする。
「はい、おしまい」
 気まずい沈黙のうちに、ようやく手当は終わった。右手に隙間なくきっちり巻かれた包帯を見てから、おそるおそる礼を言った。
「ありがと。大翔くん、手慣れてるね」
 やや仏頂面だった大翔も、果歩の褒め言葉にようやく眉を下げて答える。
「まあね。部活でよく突き指とかするからな」
 その優しい表情に勢いを得て、果歩は大翔の方に顔をずずい、と寄せて問いかけた。
「あの、大翔くん……なんか怒ってない?」
 大翔は、果歩がそんな質問をするとは思わなかったのだろうか。驚いたように目を見開くと、大きく息を吸い込んだ。返ってきた言葉は……らしくなかった。
「べ、別に」
「うそ。怒ってるよ。ねえ、どうして? わたし何かした?」
「別に……何も。怒ってる……っていうか、焦ってるのかも」
「はい……?」
 ますます意味が分からない。怒る……焦る。いったい何に大翔は焦っていると言うのだろう。疑問符の点滅が繰り返される果歩の前で、大翔はぶつぶつ言っている。
「こういうこと今言うの、あんまりフェアじゃないかもしれないけど……でも佐藤ってめちゃくちゃ鈍いし……はっきり言わなきゃいつまでたっても“いいオトモダチ”どまりだし……」
 大翔はす、と眼差しを鋭くして果歩を見た。やがて、そっと躊躇いがちに重ねられた大翔の手に、驚く暇もなかった。何故なら、その後に大翔の口から飛び出た言葉の方が、もっと驚くものだったから。
「……好きだ。付き合って」
 ぱちりぱちりと、寝不足の赤い目で二度、果歩は瞬きをした。
「佐藤は俺のこと、どう思ってる? 好き? 嫌い?」
 どこかせっぱ詰まったように低くかすれた大翔の声、僅かに力がこもった手に、果歩は戸惑うしかなかった。
 好き、嫌い、好き……告げられた二文字の言葉が、寝不足の頭をぐるぐると回る。大翔をどう思っているか。答えならとうに出ている。果歩の失敗作のお菓子を文句を言いつつ食べてくれるし、話も面白いし、優しいし……好きか嫌いかと問われれば、間違いなく“好き”だ。だが、何故それをこんな怖い顔で聞くのだろう。
「好き、だけど……でも、付き合うって……どこに?」
 続きは言えなかった。大翔の顔が、見る見るうちに不機嫌な表情に変化していったからだ。何となく果歩にも分かった。今の答えは……まずかった。
「あのね……」
 そこで大翔の言葉が途切れた。見たことのない大翔が、瞳に、残像を描いて通り過ぎた。気が付けば、全てが、微かな吐息さえも感じられるほど近くにあった。
(大翔……くん……?)
 最初、あまりにもぼんやりしていたから、大翔と顔と顔とがぶつかったのだと思った。そして次に連想したものは、どういう訳かマシュマロだった。あの、懐かしさを感じる白くてふかふかのマシュマロ。
 柔らかく甘いお菓子は、果歩のくちびるから僅かに逸れて、触れた。
 果歩の……頬に。
「……あ、れ……?」
 包帯の巻かれていない左手で果歩は触れた。今の熱の余韻が残るくちびるの端から頬に。自分の指先が冷たく、起きたことを伝えてくる。
「佐藤。だから、俺の“好き”と“付き合って”はこういう意味。分かった?」
 半ば開き直ったように告げられる大翔の言葉の一連の意味を、鈍い鈍い、と言われ続ける果歩も、今度こそ完全に理解した。
 好き。大翔が、果歩を、“好き”。
 つまりは、自分が先輩を好きだったのと同じように、大翔は自分を……恋愛対象として“好き”なのだと。そして、先ほど自分の頬に触れたものは、マシュマロなどではなく大翔のくちびる。そう理解した瞬間、顔に一気に血が上ってきた。
「……な、な、なっ……す、す、好き……って……それに今、キ、キ」
 答えにならない語の羅列を繰り返して十数秒後。果歩は目の前の大翔を、口をぱくぱくさせて見上げた。そんな果歩とは対照的に、大翔は先ほどの思い詰めたような顔つきはどこへやら、何だかやけにせいせいしたような表情を浮かべている。
「わかってくれた?」
「…………な、何となくっ?」
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)
 ドラマのように怒濤に過ぎていった展開に、思考がショートしそうだ。自分がその竜巻の最中にいるというのがどうにも信じられない。こうなるといてもたってもいられなくて、果歩は立ち上がり、親友の待つ調理室に逃げ帰ることを決めた。
「わ、わたし、帰る!」
 だが、急に立ち上がったのがよくなかったのか、立ち眩みに似た症状が果歩を襲った。視界が、ゆらゆらと水の中のように揺れて、足元がふらついた。支えられるようにして倒れ込んだ先は、自分の体とも、クッションとも違う固い感触だった。
 いつも、日なたみたいな匂いだと思う彼の中に、気が付けば果歩は、いた。
「答えは?」
「や、や、で、でも、急にそんなこと言われても困る……っ」
「急に、じゃないよ。俺なりにいつも精一杯示してたのに……」
「へ……アタック……してたの? いつ?」
 これだもんなあ、と大翔は苦笑し、つぶやいた。
「……ま、そういう鈍感なとこも可愛いけど」
 顔だけじゃない。今度は全身に火がついた。全身を襲う果歩の熱をさらに加速させるように、大翔はさらに耳元で続けた。
「好き」
 ……好き。
 今日の短いこの時間だけで、何度それを言われただろう。けれど、何度言われても慣れることは決してない。きっと一生ない。どうしたらいいのだろう。脳内の温度は、とうに限界点を超えている。
「で、でも……わたし、大翔くんのこと、そういう対象として見たこと一度もないし……」
「わー、結構痛いなあ、それ……」
 表情は見えないけれど、左の耳元で感じられる大翔の声が、明らかに傷ついたものになった。正直に自分の気持ちを言ったつもりだった果歩だが、大翔を傷つけたくはなかった。振り解こうとする行動を止め、とにかく謝った。
「ご、ごめん……それにわたし」
 ようやくそこで、果歩の頭にあの人の顔が思い浮かんだ。今まで何故思い浮かばなかったのかが不思議だった。
 優しい先輩。果歩ちゃん、と自分を呼んでくれる時の声。
 自分の……好きな人……?
「……す、好きな人いる……からっ!」
「ああ、“憧れの先輩”とかってヤツ? 関係ないね」
 果歩の精一杯の感情は、否定された。
「そいつに負ける気、さらさらないから。俺、攻めの男なんだよな。バスケでも、何でも。守ってるのって性に合わない」
「せ、攻め……って……そ、それ……?」
 何を攻めるんですかとは、怖くて聞けなかった。
「今はまだ恋愛対象として見なくてもいいよ。友達から彼氏にっていう展開、王道だしね。……考えといて?」
 大翔から、果歩への。
 ――親友の来実によれば、いつも恋に恋している果歩にとって、何とも大胆な……“宣戦布告”だった。



 ――翌日。
 どっかん、と。小型の風船が割れるような派手な音が、調理室に響き渡った。
「果歩ちゃーん……」
 来実が果歩を見る目は、もはや冷たい。
「もう、電子レンジで玉子温めちゃダメでしょ」
 来実の半分諦めきったような声に、顔から髪からエプロンから、玉子まみれになった果歩はしょげた。だってその方が調理時間節約になると思って……という言い訳は、残念ながら親友には聞いてもらえそうにない。
「ほら、洗面所で綺麗に洗ってきて! 髪も顔も玉子だらけだよっ!」
 くるりと向きを変えさせられ、果歩は強制的に戸口へと追い立てられた。しぶしぶそれに従ったが、中途で障害物に遭遇した。何だか覚えのある感触……ものすごく嫌な予感がした。自分より頭一つ分くらい高い障害物。そろそろと下から上に視線を辿って、果歩は見慣れた茶色の髪を見つけ出した。
 にこっと、彼は、笑った。
「やっほー」
「ひ、ひ、大翔くん……」
 わ、と叫んで、果歩は三歩半ほど一気に下がった。思い切り過敏な反応をしてしまった果歩に、大翔はひどいなあ、幽霊でも見た顔して、と言って苦笑した。
「どうしたの、その……黄色いの。……あー玉子か。ホント、お約束な失敗よくやるヤツだなー」
 大翔の態度はいつもと変わらなかったのでほっとした。正直、数日前のことを蒸し返されたらどうしようと、内心びくびくしていたから。
「きょ、今日はお菓子ないよ」
 目を逸らせた果歩に、大翔はあっさり言った。
「いいよ。お菓子じゃなくて佐藤に会いに来てるんだから」
 口をぱくぱくさせて果歩は大翔を見上げた。大翔はにっこりと……それはもう、二重丸を上げたくなるほど爽やかな笑みでにっこりと笑っている。
「あれ、あのこと忘れた? 忘れてるんならもう一度同じことやって思い出させるよ? それでもいっこうに構わないけど」
 ……同じこと。
(あ、あ、あの……ほっぺにちゅーとか、ぎゅーっとか!?)
 それは、ものすごく困る。果歩は真っ赤になってぶんぶんと勢いよく首を振った。
「お、覚えてる、覚えてる、覚えてますっ!」
「そ、よかった。ちゃんと考えといてよね」
 大翔の言葉を最後まで聞かずに、果歩は前も見ずに駆けだした。
 きゅっとくちびるを噛みしめる。心が、ことん、と動き出す。
 胸に生まれた幼い感情。お菓子のように味があるとするのなら、甘くて、苦くて、甘くて。一方通行の時の“好き”とは全然違って。
(ど、どうしよう……)
 気が付くと波打つ鼓動が体中に広がって……体中がお砂糖になってしまったみたいに焦れている。甘くて、甘くて、甘くて……何だかもうよくわからない。

 恋は、甘くて苦くて、甘いもの……。
 それを知る日も、そう遠くはないかもしれない。

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