キミ

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 思えば、キミと出会った最初の瞬間に。
 わたしはキミに恋をしてしまったのかもしれない。
 コウコウセイになったら、自由だなんて誰が言ったんだろう。
 たとえ、同じ学年でも。たとえ、同じ三階におたがいの教室があっても。
 廊下の端と端に離れたA組とF組だったら、めったに行き来はなかったりする。一緒なのは、体育と選択授業くらいで。それさえも違うクラスなら、もうほとんど接点はなくて。
 部活にでも入っていたらまた違うのだろうけど、興味のあること以外はものすごく面倒くさがりで出不精なわたしは、安易にも帰宅部を選んでしまったから。
 だから、わたしはキミを知らなかった。



「おーいっ。F組のバンチョウにこれ渡しといてくれな。製本しろって言っといて」
 お昼休み。お昼持参の研修旅行委員集まり。
 終わって、やれやれーっと一息ついて教室に戻ろうとしたら、先生にぽんっとプリントの山を渡された。“研修旅行のしおり”と黒文字で書かれたそれは、箸より重い物を持ったことのないわたしの腕に、耐えきれないほどの重さをくれた。
 重いんですけども。F組の委員って誰ですかも。出前のそばがのびるー!と急いで走ってってしまった食いしん坊の先生には、全然全く聞こえなかったみたいだ。
 高校一年生、夏のはじめ。
 面倒くさがり、出不精、そして暇人のわたしは、研修旅行委員なんてものになってしまった。それも、推薦でも立候補でもなく、ジャンケンで負けたというのだからけっこう情けない理由だ。
 窓から入ってくる風に、プリントがさらわれそうになるのをあごの先で押さえ、両手でプリントの山を抱えたまま、わたしはF組に向かってとことこと歩き始めた。
 A組から、F組まで。
 あ、気がついた。わたしF組の委員の子、知らないや。
「……F組の……バンチョウくん?」
 面白い名前なぁ。とりとめもないことをぼんやりと考えてたら、あっという間に廊下の端っこのF組まで行き着いてしまった。
 両手がふさがっているから手でドアを引くことはできなかったので、ちょっと行儀が悪いとは思ったけれど、足を使わせてもらうことにして、右足のつま先でちょいとドアを蹴る。引き戸のドアはすんなりと音なく開いてF組に招き入れてくれた。
 お昼休み終了まであと十分という教室には、お弁当のあとの、あの独特のまったりした空気が満ちている。
 不思議だ。同じ学校、同じ学年、同じ制服なのに。
 クラスが違うと言うだけで、こんなにも居心地が悪いなんて。
 みんなグループに分かれて、楽しそうにおしゃべりしていて、わたしをわざと無視しているみたいで。だからちょっとだけわたしはむかっときて。
 だから、わたしは、大量のプリントを誰に押しつけたらいいかわからず、ちょっとだけふくれながら、クラス中に聞こえるように、大きな声で叫んだ。
「あのっ! バンチョウくんはいますか?」
 と。
「………………は?」
 かなりの間を置いてから、わたしの目の前で、室内でサッカーボールを器用にヘディングしていた男の子が、何とも言えない妙な顔つきになってこっちを見た。聞こえなかったのかと思って、わたしはもう一度、大きく声を張り上げた。
「だーかーらっ。バンチョウくんはいますか?」
 ……瞬間。
 まったりムードに満ちていた教室が、爆笑の渦に包まれた。
 わたしの問いを受けたヘディング少年は、笑いをこらえきれないようにくつくつと肩を振るわせている。そして、振り返り、甲高い作り声で叫んだ。
「“番長”ー! 呼んでるぞー!!」
 その、声に。
「……あぁ?」
 『あ』に濁点がつきそうなほど、愛想のないぶっきらぼうな声がした。
 それと同時に、教室の後方で雑誌を頭の上に広げて寝ていた男の子が起きあがった。雑誌をむしり取って、彼はわたしを見た。
 ……う。
 わたしは思わず絶句した。
 あんまり驚いたりとかしないわたしだけど。あんまり怖いものはないわたしだけど。
 F組のバンチョウくんは、驚いたし、怖かった。
 別にイレズミしてたり斜め傷があったりするわけじゃないのに。でも……でもっ! 目が、怖い。半端じゃなく、怖い。視線だけで殺されそうになるってこういうこと!?  あー……や、やっぱり。こ、これって。
 ば、番長だよ……。
 どうしよう。ものすごく、回れ右して逃げ出したくなった。でも、“研修旅行のしおり”をほっぽり出して逃げるわけにもいかず、わたしは入り口近くでぴっきん、と石のように固まってしまた。
 あ。
 番長さんが。番長さんがゆっくりと近づいてきて。
 わたしのすぐ前で、眉間に深い二本のシワを刻み、ふーっ……とため息をつく。
 背も同じくらいなのに。可愛い顔してるのに。
 その深すぎるため息にも何故か迫力がありまくりで、背筋が凍りつく。
 F組の番長さんは、眉間に深い二本のシワを刻んだまま、凶悪な目つきでわたしを睨んだまま、一言、ぼそっと。
「……ばんじょうだ。誤解を招くような呼び方すんじゃねぇよ」
「え……ばん……?」
 何度も繰り返し慣れているのか、幾分投げやりに黒板をコツッとたたく。そこには“番条ばんじょう”という名前。
 あ……“番長”と“番条”……なるほど。聞き間違いか。
 そこでようやく、慌てて知り合ったばかりの番長……もとい、番条くんに頭を下げた。
「ご、ごめんね……っ、バンチョウく……じゃなくて、番条くん」
 慌てて舌まで噛みかけたわたしに、番条くんはやれやれというようにそっぽを向いて言った。とたん、わたしたちの会話に耳をすませていたらしい、クラスのみんなからクスクス笑いが起きる。
 あーうー……わざとじゃないんだけどな。
「もう、いい。用件は?」
 番条くんは何だか不機嫌だった。目つきも怖い。あーあ……これってもしかしなくてもわたしのせい?
 ……だよね。
「こ、これ、“研修旅行のしおり”。製本しといてって、先生が」
「はぁ? 何でオレがそんなことを」
 憮然、とした顔つきになった番条くんに向かって、横にまだいたヘディング少年があきれたように言った。
「お前、修旅委員だろ? こないだのホームルームで決まったじゃん」
「そうだったっけ? 知らねぇよ、んなの」
 二人のやり取りを横目に見つつ、わたしは教卓にどすん、とプリントの山を置いた。
「と、とにかくっ。わたしの用事はそれだけだから、あとはよろしくね!」
 妙な事態になりそうだったから、逃げようと思ったのに。
 思ったのに。
 ……遅かった。
 私と目が合った番条くんが……笑った。だけど、どう見てもにこにこというような人の良さそうな笑みではなく、にやり、という効果音がつきそうな悪人のそれ。
「お前も修旅委員なんだよな?」
 そして、凶悪な睨みをきかせて、また一言。
「手伝えよ」



 それが、わたしとキミとの、初遭遇だった。
 第一印象は……つまりは最悪。
 お前がやれじゃなくて、お前も手伝えって言うあたり、割と、いい奴なのかもしんない。……そう思ったのに。
 昨日の今日ならぬ、昼休みの放課後。
「おい、手がとまってんぞ」
 ちょっと疲れてぼーっとしてたら、すぐにばしっと勢いよく頭をプリントの束で叩かれた。
「……ごめん」
 無気力に謝って、研修旅行委員としての仕事の一環、“研修旅行のしおり作り”――それのいちばん最後の段階である製本――という、何とも地味で退屈な作業に戻る。
「早く、手ぇ動かせ。オレはとっとと帰りたいんだ」
 わたしだって帰りたいもん。見たいドラマの再放送だってあったのに。製本の役目を頼まれたのは自分じゃない、ばかー。しおり作りなんてどうでもいいもん。とか何とか言いたいのを、ぐぐっと喉の奥に飲み込む。
 番条くんの顔、怖いから。
「お前のせいであだ名は“番長”決定だ。……ばかやろ」
 そう言われても。あーあ、さっきからこればっかり。確かに悪いのはわたしだけどさぁ……こうもしつこく言われると、言い返したくなるよ。
「いいじゃんっ。番長なんて強そうでいいあだ名だよ?」
「小学校の頃から言われ続けて、もう、うんざりなんだよ」
 そうなんだ……それは確かにわたしだったら嫌かも。
「高校では呼ばれねぇと思ってたのに……くっそ」
 誰のせいだよっと小さくつぶやき、番条くんがわたしを睨んだ。
 あー……やっぱりその睨み、凶悪。怖くて言い返す気なくなる。
 それから。
 B4サイズの紙を黙々と二つ折りにして。
 ――ぱちん、ぱちん、とホチキスの音を空っぽの教室に力なく響かせて。
 わたしと番条くんは、黙々と製本作業に勤しんだ。
 共通点のないわたしたち。話題がなくなって、だけどプリントの山だけはまだまだ大量にあって。すっかり退屈になったわたしは、手は一応休めずに聞いた。
「ねーえ。なんでそんなに顔怖いのー?」
「……知らねぇよ。怖いか?」
「うーん……怖いって言うか、目つきが凶悪犯みたい」
 鋭い目つきとか、眉間に寄せられた深い二本のシワとか。怒ってないのに怒ってるみたいだもん。
「ねぇ、もしかして番条くんって……」
 昼休みから心にちらほらと浮かんでいた疑いを、質問のボールに丸めて番条くんに投げた。
「女の子、苦手とか? だって、わたしの顔ちゃんと正面から見ようとしないし」
「別に、そういうわけじゃ……」
 数秒言い淀んだあと、番条くんはぼそぼそつぶやくように言い訳した。
「……目、悪いんだよ」
 首をかしげるわたしに、番条くんは説明する。
「だから、視力。……人の顔がよく見えねーし」
 じゃあ、初めて会った時にあんなに目つきが怖かったのは、よく見えなかったせいなのか。まあ、怒ってるというのもあったんだろうけど。番条くんの目つきが凶悪犯みたいな理由はわかったけど。わたしばっかりやられっぱなしなのは、ちょっぴり悔しい。
「……じゃあ、このくらいならちゃんと見える?」
 ホチキスを横にことん、と置いて。ぐぐっと身を乗り出して、向かいの番条くんの顔の……すぐ傍まで近づいて。
 もう、キスできちゃうくらいに近い距離で、にこっと首をかしげて笑ったら。
 番条くんの顔が……面白いぐらいに赤くなった。
「な、なっ」
「しかえしーっ」
「な、なんの仕返しだよ」
「つまんないんだもん」
「……知るかよっ。か、勝手に言ってろ」
 番条くんの目に映るわたしは、新しいおもちゃを見つけた子供みたい。だって、楽しい。
 ちっちゃいくせに。極悪面のくせに。とげとげしてるくせに。
 なのに、女の子に顔近づけられただけですぐに照れちゃうあたり。
「あ、キスしてあげよっか?」
 ふざけて言ったら、番条くんは後ろを向いて紙を折る作業に戻ってしまった。
「…………殴るぞ、お前」
 言葉だけは勇ましいけれど、うつむいた横顔もその耳までも、火事まで起きたみたいに真っ赤で。
 わ、わー……可愛すぎ。すごくすごく思ってしまった。
 第一印象は、最悪だったけど……結構、可愛い奴かもしんない。
 F組の、ちっちゃなとげとげ番長さん。
 ぱちん、ぱちん、とホチキスの音を二人だけの教室にリズミカルに響かせて。
 わたしは、番条くんを引き続き“番長”と呼んでやろうと、心の中だけでこっそり決めた。

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